チラシの裏


このタイトルで書かせてもらうことにする。この一件に関しての関係者にとっては不快感を持ったり、嫌悪感を感じたりする可能性はあるかもしれない。そういうのが我慢できないならばそっと帰ることをお勧めしたい。


まず、この一件について、これ正直特定の誰が悪いかなんて特定することはまず不可能だと思う。どこかに発端はあったとしても、そこから安易にそういった空気に乗っかってしまっていくのはそれで問題があると思うし、そこを自重できなかったということに関しても責任があると思う。

俺はこういう問題に直面した際は極力電報を使い、周囲への悪影響を最小限に抑えるよう心掛けているつもりだ。周囲がどう取るかというのは別問題だが。今回の一件に関しても、その方法を取る余地は十分にあったはずだ。しかし、それを行えなかった、または行わなかったということに関し、そういった行動や言動をしてしまった者に少なからず責任や問題は発生するものと思う。俺にも問題がなかったとはいえない。よかれと思って場を和ませようとジョークを言ってみたりもしたが、結局は荒れる要因の1つを作る結果になってしまった。しかし、そこで黙ってそこから逃げていってしまうのも何か違うと思った。しかし、何か言うにも言葉を慎重に選ばなければならない。相手の責任や問題だけを追及し、自分だけが正義と言って遺恨を残して終わらせるのも嫌だと思っていた。

これつまり全員悪いんだよ。互いに感情論をぶつけ合って、ある者はあからさまに嫌悪感を露にし、またある者は逃げに回り、はたまたある者は傍観者に徹しようとして我を押し通そうとする。そこに歩み寄りの姿勢が全くに感じられない。こんなことを繰り返していては、遺恨が積み重なっていくのも無理はないし、あの企画に一種の停滞感が発生しても不思議はない。

今回の一件から、学ぶべきこと、考えるべき課題、今後の改善点、それらを考えていく必要があると思うし、そこから今後どうしたらそうならないようにできるかを考え、それを実践して同じ失敗を繰り返さないようにする必要があると思った。

人間である以上、失敗もあるだろうし、意見の相違や相性の合う合わないもある。しかし、そこを感情的にならずにセーブすべきをセーブしながら付き合っていくことが必要なのではないだろうか?
どうしてもダメなら関わらないようにする道もあるにはある。それも間違いではない。しかし、それで逃げていても解決にならないと俺は思う。どうしても人との付き合いというものは避けられないものであり、何か友好な関係を築いておけば、後々それが何らかの形で役に立つこともある。ただし、俺はそれを強制するつもりはないし、そこまで傲慢にもなれない。
意見の相違があったとして、それを否定することは簡単だ。そのほうがぶっちゃけ楽だ。でも、それで済ませてばかりいられるほど世の中甘いものじゃないし、その相違に関してなぜその相違に嫌悪感を感じているのかを考えるだけでも違うと思う。人間が十人十色だということを忘れ、自分と相手との相違を問題にして噛み付き合っていることで何が生まれるかを考えたらその行動にどんな意味があるのかが分かると思う。それを考えることすら嫌だというのならばそれでもいい。それをスルーするというのもあると思うし。所謂「大人の対応」というものがもう少しできたらなぁ、とは思う。俺自身にも言えることだけど。

俺は思ったよ。1mmでもいいから歩み寄ろうって。どんな形でもいいから。普段はおちゃらけてバカやり合っててもいいから、いざという時にはいろいろ言い合える関係を作ろうと。何も溜め込んでいるものがなければ、あの一件のようなことも少しは減るだろうし。