ジェネジャン


まず最初に「いじめ、かっこ悪い」と言っておく。

私は前にも言ったがいじめられる側な。


私個人の意見としてはどっちもどっちだと思うわけで。いじめる側にもいじめられる側にも落ち度があるわけで。

いじめられる側の落ち度は、意思をはっきり主張せんからいかんのである。キレるなり直接訴えかけるなりで自分の弱さというものを克服しなければならない。

いじめる側の落ち度は、“いじめ”という行為に安易に走ったことだろう。いじめという行為を行ったところで果たして、何か得るものはあるのだろうか? 恐らく「人を傷つけて、その人の人生をめちゃくちゃにした」という罪を背負わなければならなくなると思われる。

私としては、死を決意することは勇気ではないと思う。自殺というものは、現実から目を背ける最後の形だろうと思う。自分の置かれている状況を認めたくないというところだろう。

深夜番組「松本紳助」で島田紳助が「死ぬことを考えると身体全部が死ぬほうへ死ぬほうへと考えるようになってしまう」と言っていた。いじめを苦に自殺する人というのは、恐らく死ぬことを強く考えていたものと思われる。


「反抗的態度をとる人間を蔑む」ことがいじめになる場合がある。自分も高校時代に信用していた友人に裏切られて他の友人に「あいつは友情を裏切るとんでもない奴だ」と無視を決め込んだことがある。裏切りをかました側は涼しい顔をしているもんだから余計にむかついてくるわけだ。それ以来そいつに敵意を抱くようになった。

必ずいじめに至るまでには何らかのステップがある。友達を裏切るだけでなく、友達の恋人を奪う、友達の秘密をバラすetc.

受け側が「いじめだ」と思った時点で「いじめ」となるそうな。どれだけ殴っても相手がいじめだと思わない限りはいじめにならないのだそうな。私が無視を決め込んだ奴はいじめだとは微塵も思っていなかったようだ。いじめだと思っているのならば、誰かにチクっていただろう。明確な悪意で行ったことに対する報復をチクることは99%ない。奴が明確な悪意をもって私を裏切ったというわけだ。今考えれば、無視するだけじゃなくて「よくも裏切ってくれたな!」と一発くらい殴っといてもよかったと思ってたり(危険)。

ともかく、いじめられる理由はできるだけ作るな。安易にいじめには走るな。一発殴るかガツンと言うくらいに止めとけ。


加筆分。

最後に、マーフィーの人間哲学からこの法則を贈る。


問題児の法則

問題にする奴が問題である。